2021-06-03 第204回国会 参議院 農林水産委員会 第15号
やはり、今の農地問題の出発点は、多分、戦後のその農地解放、農地改革というところを考えると、なかなか所有権、個人財産権という中で国が強制的に買い上げるというのは現実難しいのかなと思いつつ、でも、私、原点に立ち返ると、耕作もしないのに持ち続ける、しかもそれを放置して荒れ地にしたままにするということは私は本来は許されないんだろうなという気がするんですね。
やはり、今の農地問題の出発点は、多分、戦後のその農地解放、農地改革というところを考えると、なかなか所有権、個人財産権という中で国が強制的に買い上げるというのは現実難しいのかなと思いつつ、でも、私、原点に立ち返ると、耕作もしないのに持ち続ける、しかもそれを放置して荒れ地にしたままにするということは私は本来は許されないんだろうなという気がするんですね。
転用された場合は、それぞれ目的があって転用されて、農地から宅地になれば固定資産評価が上がって税収はそれなりのものがありますけれども、ただ単に放置、耕作を放棄された土地というのは周囲の農家にも迷惑をかけますし、荒れ地になりますと害鳥獣のすみかにもなって、二重三重の害があって、百害あって一利なしというような思いが私はしております。
ソーラーシェアリングは、農業が続けられず、荒れ地になってしまった耕作放棄地で行うことで農地として再生させようという狙いもあり、有機農地を広げていくことにもつながります。 有機農地の取組面積を縮小する理由として、三割以上の方が期待している販売価格水準となっていないとのことです。特に有機農業を続けたくても採算性が難しいと考えている農家さんとソーラーシェアリングはマッチするのではないかと思います。
○小里副大臣 今るるお話をいただいたところでございますが、小笠原諸島におきましては、昭和四十三年の本土復帰時には、旧農地のほとんどが荒れ地状態でありました。そのため、すぐに農地法を適用すると、農地として受けられる権利保護が受けられなくなっておりました。すなわち、農地法は荒れ地には適用されないためにそのようなことが起きるわけであります。
土地が使われないまま放置され、相続未登記のまま荒れ地となっていくことを防ぐため、適切な受皿をつくっていくことが必要です。 現在の日本の土地制度は、明治の近代国家成立時に確立し、戦後、右肩上がりの経済成長時代に修正、補完されてきたものです。地価高騰や乱開発など過剰利用への対応が中心であり、過疎化や人口減少に伴う様々な課題を十分に想定した制度とは言えません。
また、そのために植林されずに荒れ地になっていますと。ここにミツマタを植えれば三年後にはもう収穫できるわけですね。そして、根元辺りから立ち上がっていく新しい枝を残して、二年から三年ごとには収穫ができるわけです。長いものは五十年間収穫が見込まれて、作れば、さっき申し上げたように、確実に売れるんですよ。
六百ヘクタールに及ぶ荒れ地に三百万本もの木を植える壮大な計画。それでも、多くの人たちが明善の呼びかけに賛同し、植林のため、共に山に移り住みます。力ある者は山を耕し苗木を植える。木登りが得意な者は枝を切り落とす。女性や子供はツタや雑草を取り除く。それぞれが自身の持ち味を生かしました。
六百ヘクタールに及ぶ荒れ地に、三百万本もの木を植える壮大な計画。それでも、多くの人たちが明善の呼び掛けに賛同し、植林のため、共に山に移り住みます。 力ある者は山を耕し、苗木を植える。木登りが得意な者は枝を切り落とす。女性や子どもは蔦や雑草を取り除く。それぞれが自身の持ち味を活かしました。
○金子(恵)委員 今おっしゃったように、白河以北一山百文、白河の関より北上していく東北というのは一山で百文にしかならない荒れ地ばかりだという東北を侮蔑する表現です。戊辰戦争以来、新政府軍を率いる薩長土肥、薩摩、長州、土佐、肥前側が東北地方を卑下して言った言葉でもありますが、こういう精神が百五十年たった今もまだ残っているのではないかと危惧している人たちがいる。 これは新聞報道にもございました。
そういう条件のいいところはいいんですが、ちょっと悪いところへ行きますと、私の田んぼはその北側の小野川という地域の田んぼなんですけれども、湿田が多くて、あと台地からの地下水が湧くようなところもあって思うように機械が動けないというところ、そういうところがやっぱり放棄されて、荒れ地になっているところがどんどん増えています。それはやっぱり値段が安くて機械も買えない。
ということで、それが負担できずに農業をもう諦めるという方が出てしまうと、そこは耕作放棄地になり荒れ地になるわけで、鹿だとかイノシシの被害なんかも含めて集落の多面的機能がもう損なわれてしまう。これが現実の実情で、あっちこっちにこういう状況があると思うんですね。
東京はただの荒れ地だったそうですが、徳川幕府が長い時間を掛けて立派な都市をつくりました。 それがいつの間にか都市ならではの災害を生むようになってしまったのですから、これは人災と言うほかはありません。豪雨による地下街の水没、地震による埋立地の液状化、そして山際ぎりぎりまで宅地を開発した結果、土砂災害も頻発しております。昨年の私の地元広島県で起きた土砂災害は、皆様の記憶にも新しいことです。
それを、その荒れ地に三ヘクタールしか作っていなかったハト麦を氷見市農協がペットボトル化したんです。その際、金沢大学医学部と共同研究して、美肌、美白、整腸作用を実証して特許を取りました。それを商品化した。そして、あっという間に耕作地も三十倍、四十倍になりまして、農家の収入も上がるし、それから市民の健康づくりにもなる。
○田村智子君 真摯に協議とおっしゃいますけれども、全く使われていないまま、市民が使っていないところはもう荒れ地の状態でずっと置かれていたんですね。これは全く返還のやり方として、こういうやり方では日本側の権利というのが本当に侵されたままだなということは強く申し上げておきたいと思います。 この二つの施設は、通信施設そのものはフェンスで囲まれていますが、周囲の広大な敷地に囲いはありません。
その一つが、里山里地と言われていますけれども、よく言われていますように、荒れ地にしちゃったり、遊休農地ばかりになっちゃったりする。
そういうお話をいただく中で、特に、これからでももっと頑張ってもう一回再興したいとおっしゃっていた方たちが一番声を上げていたのがやはり、まず撤去については、これ継続していくところについても、それからもしかしたらやめてしまうところについても、ハウスの撤去ということをしていただかないと、その後、やめてしまったところが結局もう農地として使えないようなまた荒れ地になってしまう、耕作放棄地になってしまうおそれがあって
皆まとめて圃場整備していい地区と、やはり棚田になっていて、そういうところだって農家は続けてもらわないと、皆ただの荒れ地になりますからね。こういう人もやはり頑張っているのは同じですから。 おらほのうんと食らった人も、あと、内陸だからといって、津波が来なくたって、ぶっ潰れて大変なことになっている人もいますから。
そこで、用排水路の簡単な修繕とか荒れ地の整理、あるいは植樹活動など、いわゆる市行政の手の届かないところに御協力をいただきました。 その後どうなったかといいますと、いわゆる荒れ地の整備の後は子供たちの野球の練習場になったり、あるいは植樹も今は、我々行政が考えられるような範疇を飛び越えまして、桜の里にしようと。
よく言われているように、岩手県分の農地が失われて、埼玉県分の荒れ地ができているわけですよ、休耕地が。どんどん農家人口も減っている。そういう中で、もう平均年齢は六十六歳でしょう。新規参入しなきゃ、十年後、これは極端な話ですけれども、七十六歳ですよ、まあ、そこまでいきませんけれどもね。だから、これはほっておいても、守っても守っても、日本の農業は衰退の一途なんです。
武士を荒れ地の開墾に登用して、基幹産業の農業の振興に力を入れるとともに、農家の副業として、桑、漆、コウゾなどの栽培を奨励しました。さらに、下級武士の婦女子を訓練して繊維産業の担い手とし、生産された原料を製品にして、付加価値をつけて他藩に輸出する手法をとりました。